■ 株式会社イオンサイエンス の得意分野は「マイナスイオン」「オゾン」を応用した製品です.

「小動物進入防止システム」特許取得、マイナスイオンの高電位を利用した蚊や病害虫、さらには鳥インフルエンザ等の進入を阻止するシステムで実働中です.
マイナスイオンを鶏舎の天井に設置して飼育すると、生育が早くなり肉質も良質になるという研究論文もあり、
共同研究先を募集しています.

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 ■ 株式会社イオンサイエンスがこれまで制作してきたもの

株式会社イオンサイエンスは上記以外にも AC100V や車載用(DC12/24V)で駆動する各種マイナスイオン発生装置の販売をしてきました.
スポットライト型 ダウンライト型 首かけ型 木製家型ケースに内蔵型 等々. 更に、お客様のニーズにあった製品開発や OEM 製品の供給も可能です.
マイナスイオンの同電位を応用した「食用油の再生化」、「ぬか床の再生・活性化」等ができる装置も数多く制作してきました.
これはマイナスイオン発生やオゾン発生の「基本となる技術の蓄積」があるからで、それ等を「何にどの様に応用するか」で対応してきた実績です.


株式会社イオンサイエンス 社長 加藤洋一(かとう よういち)氏のプロフィール

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1937年8月2日 福島県会津若松市に漆器職人の長男として誕生する。
1954年 県立会津高校を親の反対を押し切って、アルバイトをしながら卒業。
直ぐに上京、品川区五反田の叔父の会社(自動車修理工場)に就職。
1958年 小型ガソリンエンジン整備士免許取得。
その後、2年間セールスエンジニアとして勤め、自動溶断機製造に興味を持ち転職。
工作機械の操作や、設計技術を取得する。
1963年 ジャナーリスト界に転職。
同年に季刊誌「メンズクラブ」誌上にて「アイビールック」を発表し、ファッション界に一大旋風を巻き起こす。
1967年 社内に権力闘争が起きて退社し、光工学界に転職。
ニコン系の会社で、半導体製造装置、光学計測機器、分光分析機器等の製造販売に従事し、今日の加藤氏の人生を決定づけることになる。
光の(ヒ)の字も知らない未知の世界に飛び込んだ加藤氏が、視る物、聞くものすべて未知の世界で、興味のみならず学ぶことの悦び得て、加藤氏の勉強の日々が始まることになる。
すべて独学で、土・日は図書館へ通い、ある時はノートを持って得意先でもある東京工業大学へ毎日のように通うことになる。
1969年 デジタルスピンナーを開発し、これが今日の「ステッパー」の源基となる。
JVによる、3mx1.6mのスモックチャンバーの開発プロジェクトに参画し、「環境庁国立公害研究所」に納入する。
1973年 宇宙開発事業団、役務員に採用され、会社から出向社員として年3回、
種子島宇宙センターに出向し、ロケット自動追尾装置の開発グループに参画する。
3年後に完成し、今日のロケット発射時の映像が常に、画面中央で安定した画像で見られる様になる。
1979年 胃癌のため、手術にて胃を全摘出。
役務員辞退、社内にて開発、設計を担当。
1980年 赤外線専門の会社に役員として、入社
リモートセンシング機器や、黒体炉(ブラックボデー)の開発、製造に従事。
「ブラックボデー」とは、温度の標準機器で、温度のみならず、光の波長との関連も本機器によって校正されるもので、「工業技術院計量研究所」等に納入。
1982年 「スペクトルラジオメイター」開発。
国産初の原器として、「工業技術院電子技術総合研究所」に納入。
1983年 日本橋人形町に株式会社オプテルを設立して代表取締役就任。
ニコンとの特約店契約を結び、光応用計測機器の開発、製造を行う。
国際電信電話会社(KDD)との共同開発にて「光ファイバーの融着装置」完成。
住友電線、古河電線、日本電信電話公社等に納入。
1984年 「太陽電池変換効率測定装置」シャープ新庄工場納入。(国産初)
1986年 株式会社オプテル辞任。
川崎市にアイ・クリエイト・システム株式会社を設立して代表取締役就任。
ニコン、東芝ライテック等と、業務提携を結ぶ。
1987年 東京都大田区千鳥町に移転。
照明関連機器の標準評価装置を開発。
1988年 開発途上国に対する無償支援対策「ODA」による、
「タイ」、「フィリピン」、「インド」、「シリア」向け技術支援プロジェクトに参画。
日本政府依頼による技術調査員として、支援各国に渡航する。
1990年 開発途上国援助(ODA)で「標準評価システム」、「評価試験システム」を受注。
東芝ライテックと共同で「タイ国」に納入。
1993年 「財団法人日本電気計器検定所(標準計測部)」に、
標準評価システム「スペクトル・ラジオメーター」(分光分布測定装置)、「3m・グローブボックス」(全光束測定器)、「1.5m・配光分布測定器」を納入。
1994年 開発途上国援助(ODA)で「標準評価システム」、「評価試験システム」を受注し、
東芝ライテックと共同で「フィリッピン」に納入。
1995年 詐欺事件に遭遇し、アイ・クリエイト・システム株式会社倒産。
1997年 有限会社トピーを設立して取締役就任
バイオ菌及び、環境改善に関する研究を開始。
「マイナスイオン発生器」に関する研究開発を開始し、試作第1号を完成する。
1999年 マイナスイオンで、「焼却機からのダイオキシン除去試験」に成功する。
2000年 ラムダの研究開発室・室長として就任。
マイナスイオン発生装置特許申請(同年6月)。
マイナスイオン発生装置による新発明を認められ、「東京都創造法認可」を得る。
2000年 エスケーイオン科学を設立して代表取締役に就任
ラムダを辞任
2001年 株式会社イオンサイエンスに社名変更して現在に至る。